子育て 

高校生編①

二人の子どもが隠れ家マンションに勉強部屋を作り、後3年はこの生活が出来ると思うと嬉しかった。私は自宅と隠れ家マンションを行ったり来たりした。もちろん仕事には、ここから通った。

夫の母は孫のために煮物系のおかずを作ったり、栽培した野菜を持たせてくれたりした。ありがたいことだった。お米も精米したての物を用意してくれた。思い起こせばこの頃から夫の母は、作る野菜の種類を増やしていったような気がする。さりげなく後方支援してくれたことは、とても感謝している。

高校生活では親には「弁当作り」という試練を与えられた。前日におかずを用意し、当日朝仕上げは6時。早い時期は5時半。

早朝より自習室で勉強するらしく上の子どもは早くに家を出る。帰宅後は近所の自習室兼塾に行って帰宅は午後10時過ぎ。それから夕飯。下の子どもは朝は7時には家を出て、部活をして帰宅は午後8時。しかも土日も部活休みなし。

別々に帰宅したあと、別々に夕飯。話を聞いて相槌、うなずきなどのリアクションを返す。わかる範囲では考えも言った。

私はこの時代が子育ての総仕上げと考えていた。子どもが小さい時から働き続けていたために、同居の夫の母や父に頼っていることも多く、助けてもらった分、自分でやれていないと思うこともあった。ここには自分しかいない。存分にやるぞと。

だから早朝から夜遅くまで、子どものために動けることは大変うれしく、楽しか

上の子の悩みは、だんだん勉強一色で、それも深く多難になり、何もできない私はいら立つこともあった。できることと言えば、「食べさせること、病気を持ち込まないこと」その2点に尽きた。

ホームベーカリーでパンを焼いて作ったサンドイッチ弁当。パワージューサーを使ってニンジンとリンゴを入れた朝のジュース。ドアのノブのアルコール消毒、あの頃の私は何かにとりつかれていた気がする。(コロナ禍の今ではアルコール消毒も日常化してきたけれど)

とにかく私は、毎日が必死で充実していた。そして楽しかった。

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