子どもに届け物をした後、いつものように隠れ家マンションに向かう。
自宅の庭の雑草や野草をとってきて、まず、花瓶にさす。パソコンのスイッチを入れる。コーヒーをいれる。自分を取り戻す短い時間。ここでやってること。読む。書く。縫う。そして料理。
ド田舎に住み始めた結婚当時、夫と暮らせるのはうれしく、義母も義父も私を尊重してくれたのだけれど、言葉にできない違和感があった。だからと言って逃げ出せない。そのうちに子どもが生まれた。毎日が必死すぎて今振り返ろうとしても、当時の記憶が途切れている。
お金もなかったのに、あれから30年たって、今、隠れ家にいる。どうやって手に入れたのか、記録しておこう。そう思い始めた。
きっかけは夫の一言。夫はド田舎から1時間かけて高校に通学した。六時前に家を出る。自転車、電車(そのうち廃線)、徒歩。16才からバイク。青春の日の大事な2時間はバイクの運転。「ここは通学限界地域、ここよりちょっと山奥の人たちはみんな下宿していた。」「通学限界地域?!!」
子どもが生まれたとき嬉しくて、田舎の自然に囲まれて暮らせることも幸せだったけれど、高校生になったらここは「通学限界地域」。どうなるんだろう。
この頃から「マンション」を意識するようになった。元々物件好き。図面見るのが好きで、週末の新聞の折り込みの中の、家の広告や図面に見入ってしまう。図面から想像できる「人の暮らし」を想像することが好き。徐々に、「自分がこの図面の中で暮らすなら」と思うことも多くなった。
「町にすみかを持つ」。これが目標になった。夫が「通学の時間を別の時間に使えばもっといろんな経験ができただろうに。」と自分の高校生活を振り返るに連れ、子どもにはその思いをさせないという強い思いを抱くようになってきた。
お金を貯めよう。そのために働き続ける。覚悟がだんだん固まっていった。