いつの日か、町のすみかを。そんなこと考え始めたのが、子どもが生まれたあと33才の頃だった。しかし、あの頃は自分の精神のバランスを保つのに必死だった。朝から仕事に行き、帰宅後子どもの世話。家事。少しでもいいから自分の時間が欲しい。休日、子どもが昼寝しているときにコーヒーを入れて音楽を小さくかけて本を読む。振り返ってみればそれが最高の時間。町のすみかのことは頭の片隅に追いやられていた。
そんな時、郵便局員さんから、貯金を勧められた。忘れもしない。「10年で500万円貯まります。」ほんとにそんなことできるのだろうか。でも、それが実現への第一歩だった。というより、その頃は、まだ、町のすみかがほんとに手に入るなんて思ってもいないし、そのための具体的な行動は何一つとれてない状態だった。
「半年で23万円、集金に来ます。」と言われた。月に4万円か。何とか頑張ってみよう。友人は給料日に「ご褒美」と言って何か買っていたな。そんな時私は「ご褒美貯金」。別の知人はストレス解消のために「爆買い」していたな。そんな時は「買ったつもり貯金」。半年で23万円は私にとってはかなりの大金だった。けれど、無理すればできない金額でもなかった。
元々、私は贅沢や浪費とは縁遠い育ちでそこそこ節約体質だった。就職してからも当時手取り9万円だったにも関わらず、そこから一人暮らしの家賃払って公共料金払って生活し、それでも月に1万円は貯金していた。最寄りの銀行の2年で50万円貯めるコースに入り、結局就職3年で結婚するときにはきっちり75万円貯めていた。
世間と比べて当時の自分がどれくらいのものだったか調べるすべもないが、節約体質だったと思う。
なのに、私は、当時私にとっては「お高い」服を買うようになっていた。結婚し故郷を離れ、知り合いが一人もいないこの田舎に来てからというもの、この田舎の商店街にある洋装店の女主人の優しい言葉に惹かれ通っていたのだ。今思えば、高めの服を買うことで自分の寂しさややるせなさをごまかしていたのかもしれない。
しかし、半年で23万円という貯金を始めてからは徐々にそれも減っていった。仕事しながら子育てをして相変わらず毎日がドタバタと過ぎ、今では当時のことをあまり思い出せない。ただ、働き続け、半年で23万円貯金し続けたことで10年後に500万円の「タネ銭」ができた。